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​「夢を持つこと」

​はるちゃんさん

​男性 ✽ 20代

​原因:野球でのクロスプレー

自分は中学2年の頃、大好きな野球でのクロスプレーが原因でこの病気になりました。

よくあるプレーだったので、当時は気にすることなく過ごしていましたが、振り返ってみればあのプレーから体調がおかしくなっていました。

その後も少々の体調不良はありながらも、無事中学校を卒業し高校に進学しました。

もちろん高校も野球部に入りました。

 

高校に入って体調が悪化していき、病名がわかるまで2年かかり、一時は寝たきり車椅子になり、野球どころか普通の生活すらできなくなっていました。ドクターからも、歩けるかわからないとまで言われてしまいました。

それでも野球がしたくてもう一度マウンドに立つことを目標に努力してきました。

高校1年の冬に診断を受け、治療を始めて3か月間は車椅子の生活が続きました。

1月に1回目のブラッドパッチをしました。

3月頃から歩けるようになりました。

それでも体調は回復せず、5月に2回目のブラッドパッチをしました。

この頃からカイロプラクティックも並行して始めました。

しかし、なかなか体調は戻ってこず、8月には学校をやめようと高校に話をしに行きました。

そこで野球部の部長から「もう少し頑張ってみようよ。野球部は君を待ってる」と声を掛けられ、踏みとどまりました。

 

その後回復していき、高校2年の10月にやっと復学し少しずつ高校にも通い始めました。

そして3月頃に野球部に復帰しました。

ずっと握力が9で車椅子だったので筋力・体力がかなり落ちていてランニングから始めました。なんとか高校3年生に上がることができ、4月下旬からキャッチボールを再開しました。

5月に1年半ぶりにブルペンに入りました。

高校も復帰後初めて朝から6限まで受けることができました。

そして高校3年制の引退試合で、600日ぶりにマウンドに立ち、一回を無失点で投げ終えることができました。この様子をテレビで2度も特集してもらい、沢山の方からの応援の言葉や、励ましの言葉をいただきました。

もう一度マウンドに立つという明確な目標がなければここまで回復しなかったと思います。

そこに行き着くまでは、とても辛く何度も挫けそうになりましたが、その夢と周りの人の応援で前を向いていくことができました。

今でも体調不良はあるし、普通の生活は送れていないけれど、毎日を楽しく過ごしています。

 

「ときに想いは理論を超える」

ドクターがかけてくれた言葉です。自分はこの言葉を信じてずっと努力してきました。諦めなければ夢は叶うことを証明できてよかったです。

発症から現在までの簡単な病歴

2015年 2月

2016年 12月

2017年 1月

2017年 5月

​現在はカイロプラクティックと週1回の点滴治療を並行して治療中

発症

脳脊髄液減少症と診断

1回目のブラッドパッチ

​2回目のブラッドパッチ

​症状

今も続いているもの

(酷い時ほど重くはない)

頭痛 / 吐き気 / 立ち眩み / 倦怠感 / 記憶障害 / 目で物を追えない / 光に弱い

 

治療前(酷い時)あったもの

意識混濁 / 手足に力が入らない→握力9、足は力が入らず車椅子

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