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「」に対する検索結果が33件見つかりました

  • 検査・治療のための入院

    こんにちは! お久しぶりです。入院のため少しお休みしていました。 無事に退院しました!! Twitterでたくさんの方が応援してくださったので頑張ることができました。 本当にありがとうございました。 優しい言葉をかけてくださって、本当に心強かったです。 今回の入院は3泊4日でした。 入院中は検査と治療であるブラッドパッチを行いました。 日程 1日目 検査→RI脳槽シンチグラム、ミエログラフィー 2日目 治療→ブラッドパッチ 3日目 経過観察 4日目 退院 毎日2本~3本の点滴をしていました。 ブログでは1日ずつ分けて書いていこうと思います。 入院に至った経緯 2015年9月末に発症し、2016年3月にブラッドパッチを行いました。 ある程度回復し、大学にも進学できました。 大学3年(2020年)の時に体調が悪化しました。 それまでも悪くなることはたくさんありましたが、点滴や薬でごまかしながら耐えてきましたが、限界が来てしまいました。 悪化後は高濃度プラセンタ注射を8回行いました。 完治までの効果を感じられず、休学することにしました。 そして、今の状況から抜け出すために今回の入院することになる病院を受診しました。 色々話をして、今後どうしていくのがいいのかを相談しました。 病歴や今の症状、検査や治療の費用や効果など詳しく話し合った結果、 一度検査をしたうえでブラッドパッチか生食パッチを行った方がよいということになりました。 先生が 「いつから入院にしますか?」 「一番早いと6月28日がありますよ」 と。(受診したのが6月17日だったので入院まで2週間もなかったです) いやいや、早すぎじゃない?笑と思いましたが、早く対処できるならその方がいいかなと思って、 「じゃあ、その日からでお願いします。」 心の中では急に進展しすぎてちょっとパニックになっていました。笑 診察の後は入院の手続きを済ませ、会計をしました。 色々説明を聞きましたが、急に決まってパニックになってて重要なことを聞き逃しそうでメモするのに必死でした。 その日は先日のブログにも書きましたが、同病者の方と会いまいた。 話を聞いてくれたりしたので心強かったです。1人だったらもっと焦っていて不安だったと思います。 こんな感じで初診で20分もないくらい時間で急に入院が決まりました。 今思えば、あの時「やる」という選択をしてよかったなと思います。 検査や治療は怖かったし、1人で治療方針などを決めるのが初めてだったので不安でした。 でも、今の状況を変えるには行動するしかないと思って、決断できてよかったです。 次回のブログは「入院1日目」について書きます! 今回も読んでいただきありがとうございました。

  • Twitterをやっていてよかったこと

    こんにちは! 今回は本題に入る前に少しお伝えしないといけないことがあります! 6月28日から検査・治療のため入院することになりました それに伴い、サイト運営を7月1日ころまでお休みをさせていただきます。 お問い合わせなどの対応が遅れる可能性が高いことをご了承ください。 より道は変わらずご利用いただけます! 入院や治療に関しては今後このブログやTwitterを通じて発信していきたいと思います! 今回は「Twitterをやっていてよかったこと」がテーマです! 脳脊髄液減少症を発症してから何年も闘病用でのTwitterをやっていませんでした。 Twitterで同病者と繋がることが思いつかなかったので。(-_-;) 2020年に始めましたが、もっと早く始めていればよかったなと感じています。 自分の不安や想いに対してフォロワーの方がリプをくれたり、アドバイスをくれたりとプラスとなることしかないなと! やっていて一番良かったのは 「同病者の方々や病気と闘っているたくさんの素敵な方々とつながれたこと」 です!!! 繋がれたことで「自分は一人じゃない」と強く感じて 1人で抱え込まなくてもいいんだと 同病者や闘病中の方のいろんなツイートを見ていると 沢山の仲間ができた感じがして、 お互いを励ましあって、優しい世界で本当に居心地がいい空間だと思っています。 Twitterをやることで多くの方とつながれて、心強くて、 だからもっともっと多くの方とつながっていきたいです!!! ここまでにします! 来週の7月2日のブログはお休みさせていただきます。 7月9日に更新します♪

  • 脳脊髄液減少症の方とお会いした

    こんにちは! 天気が悪くなったり、急に晴れたり、安定しないですね、、 今回は「同病者の方とお会いした」ことをお話ししようかなと! 先日初めて脳脊髄液減少症の方とお会いして、いろいろお話ししました! 年齢も近くて、共通しているものもあって、とても楽しかったです♪ 脳脊髄液減少症の方とお話ししていて、病気のこと・困っていること・こんな風にしていきたい・将来のことなど共感できることが多かったです。 今まで、共感しあえる方がいなかったので、共感しあえることってこんなに安心感があって、心がホッとするんだなと感じました! 同じ病気だからこそ分かり合える部分がたくさんあることを知ることができて、初対面だったのにそんなことを感じないくらい充実した時間を過ごせたなと思います。 皆さんは同じ病気の方と会ったことありますか? 今回、彼に会ってお話しできたことは私の中ですごく大きくて、会えてよかったなと感じています。 皆さんはどんな風に感じたんだろう・・・よかったって思う方のほうが多いといいな。 良かったらコメントしてください! 友達みたいに接しているけれど、お互いにこまめに体調を気遣ったり、病気のことを理解しあえたりできる方をこれからも増やしていきたいなと! では、今日はここまでにします。

  • 「頑張っている」

    こんにちは! 今回のテーマは「頑張っている」です。 自分の中の想いを出そうかなと思います。 脳脊髄液減少症になってから、ずっと人に助けられて過ごしてきました。 でも、私は助けられるより助ける方がいい。(みんなそうかもしれないですが・・・) この病気になって、沢山の人に迷惑かけて、心配かけて、支えてもらって。 ありがとうと凄く思うし、恵まれている環境なのに心はなぜか辛くて。 恵まれるほど、頑張ってよくならないとと勝手にプレッシャーに感じたり、 こんなにしてもらっているのに全然よくならないことにも申し訳なく思ったりしちゃいます。 高校1年生で脳脊髄液減少症になって、大好きだった卓球もできなくて。それどころか普通の生活もできなくて、 「自分は甘えているだけなんじゃないか」って何回も考えて、行動する。 でもやっぱり体調悪い。 お金かけて治療しても治らない。 「どう?治療して良くなった?元気になった?」って聞かれて 「いや、まだあんまりよくならないんですよね。」 こう答えると治っていないことを改めて感じる。多くのことを我慢して、人一倍体調に気を付けて、お金出してもらって治療しているのに治らない、つらい。 大学に入って、やっと普通の生活を送れるようになった。 すごく嬉しかった。 完治じゃなくても普通の生活ができることが嬉しくて、勉強も部活も頑張ってきた。 3年生になって悪化した。もう時間に余裕はない。大学ではみんなと同じように通って、就活・教員採用試験とか受けて、楽しく4年間過ごして、一緒に卒業できると思ってたのに。 「無理をしないで、頑張って」 いつも無理しないと課題は追いつかないし、頑張らないと普通の生活はできない。 優しさとか、私のためを思っていってくれた言葉なのは理解してる。 他になんて声を掛けられたら納得するのかもわからないけど、 ついついこんなこと言ってしまいたくなる。 なりたくて病気になったワケじゃないし、迷惑かけたいわけでもない。 友達の前では前向きに発言していないと自分を保てなくて、見失いそうになるからそうしているだけの時も多くて、、 正直、前向きに受け入れるように考えるのは難しい。 事故のこと、いまさら誰を責めたいわけじゃない。でも、事故がなくて病気にならなかったらって考えてしまう。 思いっきり卓球して上達している人 好きなことを好きな時に自由に行動している人 自由に遊んでいる人 将来に向かって一生懸命頑張っている人 どんな人を見ても苦しくなる。 自由に遊ぶこともできない。予定を立てるのもドタキャンして迷惑かけてしまうかもと考えるから予定を立てるのが怖い。何かしないとと思うけど、体調が伴わずに何もできずに1日が終わっていく。 そんな自分が嫌。 「いやなら行動すればいい。病気になってもできることがある」って言われたことがある。 今はそうだなと思える。だから行動しているけど、 治療もうまく進まなくてどん底にいる時は 「そんな簡単なことじゃない。いつ悪化するかわからなくて、一時的な対処法しかできなくて、お金はすごいかかって、確実に治すのに何年かかるのか不透明。見た目ではわからないから理解されにくい。症状だって苦しいし、つらいのに。そんなことわからないくせに」 すべてマイナスな方向に考えていた。 ずっとずっと「頑張っている」 どんな状況でもつらい現実でも頑張って頑張って受け入れようと努力して 「しょうがない」ってたくさんのことを諦めてきた。 それでも支えてもらってきた人達に恩返しができるように、そして自分のためにも これからも頑張っていかないといけない。 辛いし、苦しいこともあるけれど、進む中で生きがいだったり、ちょっとした幸せを見つけて受け入れきれない現実を少しずつ受け入れながら過ごしていきたい。

  • 今後に期待したい!

    こんにちは! 梅雨入りして、気圧の変動も多いですね・・・ 嫌になりますね。笑 今回は私の治療についてお話しします! 以前掲載した「私と脳脊髄液減少症」で書いた通り、私は病院を数か所回ったのちに、ブラッドパッチを行いました。 そこから何年もたって、悪化しました。 悪化後は、サプリメントを飲んだり、違う治療法を試してみたりしました。 もっと良くするために自分の現状を把握して、行動していく必要があると感じ、 ブラッドパッチを行ったところとは違う病院を受診することにしました。 今後どのようになっていくか、不安と少しの期待といろんな感情がありますが、いい方向に進められるように頑張っていきたいと思います!! 短いですが、ここまでにします♪ 読んでいただきありがとうございました。

  • 学校生活で気を付けたこと

    こんにちは! 今回は「学校生活で気を付けたこと」がテーマです。 脳脊髄液減少症の方で学生だよっていう方や学生のお子さんを持つ親御さんもいると思います。 こんなことで悩んでいませんか? ・学校で何を気を付ければいいの? ・学校にどう説明したらいいの? ・友達にはなんていえばいいの? ・理解が得られるか不安だなあ 高校1年の9月末に発症した私もたくさん悩みました。だけど、脳脊髄液減少症の方とつながっていなかったので聞くことができませんでした。 今回はそんな今悩んでいる・困っている方に参考になればいいなと思います。 《学校で気を付けていたこと》 私が学校(ここでは高校を中心に書きます)で気を付けいていたことは基本的に4つです。 1.重いものを持たない これはブラッドパッチの後から特に意識したことです。重いものを持つのは危険というのは皆さんもご存じだと思います。 私の学校はロッカーがないのに教科書を置いていくのは禁止されていたのでバックが結構重たかったんです。なので、友達に頼んで持ってもらっていました。学校にかけあって教科書などをおいていくのを許可してもらうのもいいかもしれませんね! 2.体育は無理をしない 体調を自分でしっかり判断して、できる範囲で参加するようにしていました。 学校側にも説明し、参加できない種目の時はレポートで対応していただきました。 参加していた種目:水泳(得意だった)、サッカー、走る種目、ソフトテニスなど 水泳は上がるときだけ気を付けないといけないです。急激に重力がかかるので! バスケットボールやバレーボールは当たると危険なので参加していませんでした。 3.水分をこまめにとる 私は普段からあまり水分をとらない方です。脳脊髄液減少症になってからは特に脱水にならないように、こまめに水分をとるように意識していました。 私は学校でも家でもOS-1を飲んでいます。1日1ℓから1.5ℓくらいを目標にしていました。 それでも、ついつい飲むのを忘れてしまう時がありました。その時は友達が気が付いて 「みう!OS-1飲んで!!!!」や「水分取ってないじゃん!」と注意してくれました。 仲の良い友達に話しておくとこういうことも気を使って注意してくれるので本当に助かっていました。 今でも、遊ぶときには水分をとっているかの確認をしてくれています。笑 4.環境づくり 友達・先生に説明をして、理解をしてもらい、協力してもらえるようにしていました。 この病気は見た目では判断できません。だからこそ理解を得ることが難しいですよね。 新しいクラスになったらその都度みんなに説明をすることは重要だと思います。 周りの人に説明をするときに 「私は脳脊髄液減少症です。協力してください」だと何をどう協力すればいいのかわかりません。 ・脳脊髄液減少症ということ ・症状はなにがあるのか ・どういう時に症状が出やすいのか ・どう対応してほしいのか ・体育などで参加できないことがある このように、病名だけでなく、症状、対応、同じように授業に参加できないことなどを簡単に話すことが大切です。 こうすることで、自分がつらい時に声を掛けてくれたり、体育で不参加でも周りの目が気になることは少なくなります。 病気だから理解して!と相手に投げてしまうのではなく、自分から行動して、過ごしやすい環境を積極的に作っていくことが大切だと思います。 参考程度に ↓ 仲がいい友達 時間をとってもらい、経緯・病名・症状・どういう時に悪くなるか・対応などを細かく話しました。症状がつらい時に一番に助けてくれるのは仲がいい友達だからこそ、全部話しました。 クラスメイト 「長い間立ったり、座ったりすると頭痛や吐き気などの症状が出る」 「気圧低い(雨の日)は体調が悪くなりやすい」 などと、どういう時に悪くなるのかをイメージしやすいように簡単に、具体的に話しました。 以上の4つが基本的に気を付けていたことです。 みんなに話すのが嫌な方もいるかと思います。必ず話さないといけないというわけではないです。 ただ、体調が悪くなった時は一人では何もできません。周りの協力が必要です。なので、仲の良い友達には話しておくことは必要不可欠だと思います。 体調不良による欠席・遅刻・早退、体育などの不参加が他の子よりも多くなります。 クラスメイトに簡単にでも話しておくと、周りの視線や自分の気持ち的にも楽になるので、できれば話すことを私はお勧めします。 今回はここまでにします。 私はこの4つを気を付けていましたが、みなさんはどうですか? 他にもあると思います! 学校でどう過ごしていたか、どう説明していたかなどコメントで教えてください! 読んでいただき、ありがとうございます。 詳しく聞きたい方はTwitterのDMにお気軽にご連絡ください。

  • はじめまして✽

    こんにちは! ブログを書くのが初めてなのでどう書けばいいんだろってちょっと悩んでます😂 それはおいといて、 みなさん、はじめまして、miuです! 最初のブログということで簡単に自己紹介します♪ miuです。 Twitterでの名前が「miu」なので統一していますが、「みう」と呼んでいただいて大丈夫です◎ わざわざ miu と打つのは大変ですもんね・・・笑 大学生の21歳です。 大学ではマーケティングを専攻しています。 高校の先生を目指しています! 大学は3年生が終わった段階で休学しています! 好きなスポーツは卓球と野球です。 小さいころからスポーツが好きでした! 今まで、陸上・水泳・野球・卓球を習ったことがあります。 ではでは、次に脳脊髄液減少症についてお話ししたいところですが、 今日はここまでにします! 次回は私の脳脊髄液減少症の病歴などを話そうかなと考えています! 読んでいただきありがとうございました。 これからよろしくお願いします♪ 色んな方とお話しできたらいいなと思っているので お気軽にどんどんコメントしてください!

  • 高校生活

    こんにちは! 少しずつMy Blogを読んでくださる方やいいねを押してくださる方が増えて嬉しいです♪ ありがとうございます!! 今回のテーマは「高校生活」 私にとって、高校時代はいろんな意味で自分が変わった時間でした。 高校は商業系で簿記とか情報処理などを学んでいました。 部活は卓球部に入部して、部活に行けていた時期は部内で1位をとれるくらい練習をしていました。今思えば、事故前までの私の生活はとても自由で充実していたと思います。 ここからは事故後の学校生活について↓ 《友達》 2.3年と持ち上がりのクラスでした。約40人の女子クラス。 女子クラスだとあまりいい印象を持たない方も多いかなと思いますが、私のクラスは平和でした!笑(私の知らないところで色々あったのかもしれませんが・・・(-_-;)) いつも一緒にいる友達は私を含めて8人。なかなか人数多いですよね。 すごく仲が良くて、優しくて、面白くて、元気なグループでした。 高校を卒業して4年目ですが、定期的に遊んだり、ご飯にいったりするくらい仲がいいです。 私はこの7人に特に支えられていたなと感じます。 ある子は事故後から毎朝私の登校時間に合わせて登校して、4階まで荷物を運んでくれました。それもずっとです。家が遠いのにいつも笑顔で「おはよ。今日の体調は?教室行こ!」って。感謝しかないです。 他の子も、授業中に体調が悪くなったらすぐに気づいて保健室についてきてくれたり、荷物を持ってきてくれたりしました。欠席・早退・遅刻が多い私のために、ノートをコピーしてくれたりと凄く助けてくれました。 少し時系列が戻りますが、1年生の終わりには千羽鶴を折ってくれました。すごく嬉しかったのを覚えています。 2.3年生と持ち上がりなので、クラスメイトにはしっかり説明したほうがいいと思って帰りの会の時間に話をしました。 「嫌われたらどうしよう」「なんていえば伝わるんだろう」「避けられたらどうしよう」などすごく不安で、説明するのをやめようとも思いました。でも、説明をしないと伝わるものも伝わらない。 緊張しましたが、みんな聞いてくれて、帰りの会が終わってから「知らなかった。悪くなったらいつでも言ってね」と声を掛けてくれた子がたくさんいて、話してよかったなと思いました。 遅刻したときに授業中の教室に入るのって結構勇気必要ですよね。 私も初めは緊張して、「変な風に思われてたら嫌だな」と思っていました。 でも、説明をしてからは遅刻しても机につくまでにすれ違う友達が授業中にもかかわらず、小声で「おはよ。大丈夫?」って声をかけてくれました。その一言がすごく安心したし、嬉しかったです。 いつも一緒にいる7人、クラスメイトのおかげで病気になってからも楽しく学校生活を送ることができたので感謝しています。 友達に聞いたことがあるんです。 「私が病気になってから助けてくれたり、いろいろ支えてくれたりしていた時、正直どう思ってた?」と。 「病気になって大変そうだし、しんどそうだからめちゃくちゃ心配だった。荷物運んだり、ついて行ったりは”あたりまえ”って感じだったよ。友達だと普通じゃない?」 沢山支えてくれていたのにそれを”友達だから”とか”あたりまえ”って思っていたことに驚いたし、本当に素晴らしい友達をもったなと感じました。幸せなことだなと。 病気になっても変に特別視をしていなくて、一人の友達として接してくれていたことが嬉しかったです。 《先生方》 先生方も積極的に支援していただいて、卒業後も気にかけてくださっているのでありがたいなと感じています。 特に経済の先生は私が教師を目指すきっかけになった先生です。 経済って難しくてよくわからない科目だと思っていたんです。でも、その先生の授業は面白くて、生徒との距離感もよくて、いろんなことを知っていて、そんなところが憧れました。 そして、他の先生方もとても対応良くて、心強かったのでそれも相まって、私もこの高校のような素晴らしい先生になりたいと思って、大学で教員を目指しています。 卒業後も定期的に高校に行っていろんなお話をしています。ずっとお世話になっています。 ありがとうございます。 《お母さん》 病気になってから一番支えてくれて「みうの味方だよ」って言ってくれて、どんな時も応援してくれてありがとう。 高校1年生9月末から卒業まで毎日高校まで送り迎えをしてくれました。 お仕事があるのにも関わらず、通常の時間通りにも、遅刻の時にも、早退の時にもどんな時間でも電話したら必ず迎えに来てくれました。 体調をずっと心配して、どんな治療や薬、サプリがこの病気に効くのかなどを一生懸命に調べてくれて、感謝しています。 《最後に》 高校は周りの優しく、心強い支援のおかげで無事に終えることができました。 優しくしてもらっているのに自分は何も返せていないことに悩んだり、友達は本当は嫌だと思っているんじゃないかなど思うこともありました。 だけど、自分ができる精一杯のありがとうを伝えて、誰に対しても感謝を返すように接することで悩みが軽減します。本音を話せる友達を1人でもいいから見つけることも重要だと思います。 正直、病気になったことを悔やんだり、あの事故がなければと思うこともあります。でも、そうなったからこそ見えた世界があって、人の優しさに触れれたり、たくさん悩んだりすることもいい経験になっていると感じます。 今は9月25日は自分の中ですごく大切な分岐点になりました。 こんな経験をしてきたからこそ私は 「病気になったからこそできることを」精一杯やりたいなと! これからも頑張ります! 長くなりましたが、ここまでにします!! 次は↓ 「学校生活で気を付けていたこと」をテーマにお話ししようかなと! 皆さん、雨が多くなってきて、体調が悪いかもしれませんが、みなさん心は元気に自分のペースで1日1日を乗り越えていきましょ!

  • 私と脳脊髄液減少症について

    こんにちは! 今回は私と脳脊髄液減少症についてお話していきます♪ 最初に簡単に箇条書きしますね。 発症 ✽ 2015年9月25日 私が高校1年生の時 原因 ✽ 学校の体育祭準備中に角材が倒れてきて頭に当たったこと 症状 ✽ 頭痛、吐き気、めまい、倦怠感、音や光がつらい、耳鳴り、集中力・記憶力の低下 (症状は基本的に出ることを書きました) 《発症》 私は高校1年生の9月末に不慮の事故によって発症しました。 事故前までの私は、卓球中心の充実した毎日を送っていました。勉強はあんまり得意ではなかったのですが、友達と一緒に楽しい学校生活を送って、部活をして、卓球のクラブに行って、という生活でした。 それが変わったのは9月25日。 学校では体育祭の準備期間でした。私もみんなと一緒に廊下に座ってクラス看板の絵をかいていました。下校時間になり、急いで手分けしてみんなで片づけを行いました。 その時でした。私と友達の2人で座って下を向いてところに看板の枠組みの角材が倒れてきたのです。下を向いて作業していた私たちは倒れてきたことに全然気が付かなかったです。そして、他の人は使った絵の具を片づけていたので近くにいなかった。こんなたまたま誰も見ていなかったときに倒れてきたんです。 友達は足を少しケガして、私は頭に角材が直撃。急な出来事にはじめは何が起きたかわかりませんでした。 たんこぶはできたものの、意識はしっかりしてるので自転車で普通に帰りました。 その日はずっと頭がズキズキしていましたが、当たったせいだと特に気に留めませんでした。 《病院で「異常なし」といわれた》 次の日、またその次の日、時間がたっても頭痛が治らなくて、吐き気もしていました。 月曜日になり、学校に行きましたが、授業が受けられないほどつらくて近くの脳神経外科のA 病院に行きました。 結果は「異常なし」 「頭に当たんだから頭が痛いのは当たり前」「肩こりからくる頭痛」などといわれました。 その後、違う B 病院に行きましたが結果は同じでした。 11月になり、B 病院で1週間入院しました。その入院では24時間点滴を行いました。 入院中には友達や先生が来てくれてすごく励みになりました。入院3日目からは今までの頭痛や吐き気が嘘のようになくなり、とても嬉しかったことを覚えています。 《ブラッドパッチ》 入院から数日後には体調は元に戻りました。なので紹介状を書いていただいて C 病院に行き、脳脊髄液減少症の検査を行いました。 検査では「漏れの確認はできない」とのことでしたが、 症状からして脳脊髄液減少症の疑いが十分にあるといわれました。 そして、3月11日にブラッドパッチを行うことに。 腰と首に入れました。 ブラッドパッチの詳しいお話はまた今度にします! ブラッドパッチを行った結果としては、以前よりも症状が軽くなりました。 やってよかったなとは思います。 ただ、めっっっっっちゃ痛かったので 「もうブラッドパッチはやりたくない(´;ω;`)」 と思いました・・・笑 《ブラッドパッチ後の経過》 ブラッドパッチの後は絶対安静といわれたのでそうしていました。 ず―――っと横になっていました。 4月になり、2年生が始まりました。 2年生からは2.3年とクラスが持ち上がりになるので、隠していくのは自分が助けてほしい時の理解が違ってくると思い、帰りの会に時間をとってもらい、クラスのみんなに病気を説明しました。 そのおかげで、体調不良による欠席・早退・遅刻をしても変な目で見られることはなかったです。それどころか、教室・保健室などに荷物を運んでくれたり、ノートをコピーさせてくれたりと、とても協力してくれたのでしっかり説明をして本当に良かったと思うし、みんなに感謝しています。 学校で気を付けたことやどう説明したかなど、学校関係は今度書きますね! 2.3年生は1年生(事故後から)と比べて欠席などをする回数は少し減りました。また、学校側も理解してくださって、いろいろと協力してくださりました。 そして、無事に高校を大好きな友達と一緒に卒業することができました!!!! 友達、両親、クラスメイト、学校、周りのすべての方の心優しい気持ちと理解、協力があって高校生活を楽しく終えることができたと今も強く感じています。 ここまでにします! 次は「大学編」をお話します♪ どうでしたか?わかりにくかったですか? 私は文章を考えて書くのが苦手なんです・・・笑 感想やアドバイスなどコメントやいいねをくださると嬉しいです!! 読んでいただいてありがとうございました。

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